映画『時には懺悔を』感想|宮藤官九郎の父親役と、親子それぞれの罪と後悔【ネタバレあり】

映画『時には懺悔を』を鑑賞しました。

『告白』『嫌われ松子の一生』などを手がけた中島哲也監督が、打海文三の同名小説を映画化した作品です。

一人の探偵が殺された事件から始まりますが、物語の中心にいるのは、重い障がいのある少年・新です。

新を誘拐し、妻を亡くしたあとも9年間一人で育てた明野(宮藤官九郎)。

新を産みながら、誘拐される瞬間を見逃してしまった民恵(黒木華)。

障がいのある息子の介護を一人で背負った由紀(柴咲コウ)と、母親の愛情を求めていた娘の観月(山﨑七海)。

そのほかにも、聡子(満島ひかり)と娘、米本(佐藤二朗)と息子など、さまざまな親子が登場します。

親だから正しく子どもを愛せるとは限らない。それでも、苦しさや後悔のなかにも確かな愛情がある。

簡単には割り切れない親子の姿が描かれていました。

今年観た映画のなかでも、特に良かった作品です。

※この記事では、映画の内容と結末に触れています。

※打海文三の原作小説は未読です。映画を観た感想として紹介します。

※この記事には、原作小説を紹介するアフィリエイトリンクが含まれています。

本作は、以前まとめた「2026年8月に映画館で観たい注目映画5選」でも紹介しています。

公開前に気になっていたポイントと、実際に鑑賞したあとの感想をあわせてご覧ください。

★30秒で結論

評価:★★★★★ 5.0

重い障がいのある少年・新と、過去に罪や後悔を抱えた大人たちを描いた作品です。

最も印象に残ったのは、新を育てる明野を演じた宮藤官九郎でした。

明野は、子どもを欲しがる妻との間に子どもを授かれず、病院から新を誘拐します。

最初から新を受け入れていたわけではありません。それでも妻の死後、新の寝顔を見て、自分で育てることを決めます。

妻が残した育児記録を頼りに、新と向き合い続けた9年間。

その積み重ねからは、血のつながりがなくても、明野が新の父親になっていく過程が伝わってきました。

一方で、民恵や由紀の姿からは、子どもへの愛情があっても、障がいのある子どもを育てる苦しさや孤独が消えるわけではないことも描かれます。

誰か一人を悪者にして終わらず、親子それぞれの罪と後悔、そのなかに残る愛情を描いた作品でした。

この映画はこんな人におすすめ

  • 宮藤官九郎をはじめとする俳優陣の演技を観たい人
  • 中島哲也監督の作品が好きな人
  • 親子や家族を描いた映画に弱い人
  • 罪と再生を描く人間ドラマが好きな人
  • 重いテーマについて考えながら観たい人

障がいや介護、新生児誘拐、家族の崩壊などを扱っています。

気軽に楽しめる作品ではありませんが、家族への愛情と、その愛情だけでは乗り越えられない苦しさを正面から描いた映画です。

作品情報

項目内容
作品名時には懺悔を
公開日2026年8月28日
上映時間128分
製作国日本
監督中島哲也
脚本中島哲也、門間宣裕
原作打海文三『時には懺悔を』
主な出演西島秀俊、満島ひかり、黒木華、宮藤官九郎、柴咲コウ、塚本晋也、片岡鶴太郎、佐藤二朗、役所広司ほか
配給ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
映倫区分G

あらすじ(ネタバレなし)

探偵の米本洋一(佐藤二朗)が、自身の事務所で何者かに殺害されます。

事件を調査することになったのは、米本の元同僚である探偵・佐竹三雄(西島秀俊)と、探偵になるために修行中の中野聡子(満島ひかり)です。

米本が生前に何を調べていたのかを追うなかで、二人は9年前に起きた新生児誘拐事件へたどり着きます。

誘拐されたのは、重い障がいを抱えて生まれた子どもでした。

その子は現在、「新」と名付けられ、明野哲夫(宮藤官九郎)と二人で暮らしています。

殺された米本は、なぜ新の行方を調べていたのか。

新は、どのような経緯で明野と暮らすようになったのか。

事件の真相を追ううちに、過去に傷や後悔を抱えた大人たちの人生が、新を中心につながっていきます。

原作は打海文三の同名小説

原作は、打海文三の小説『時には懺悔を』です。

1994年に単行本が刊行され、現在は角川文庫から発売されています。文庫版は352ページです。

作者自身が障がいのある息子を育てた経験をもとに執筆した作品とされています。

私は原作未読のため、映画で変更された設定や、省略された人物の心情については分かりません。

映画だけでも物語やテーマは十分に伝わりましたが、登場人物それぞれの背景をさらに知るために、原作も読んでみたくなりました。

良かったところ

宮藤官九郎の不器用な父親役が良かった

本作で最も印象に残ったのは、明野哲夫を演じた宮藤官九郎です。

明野は、子どもが欲しいと願う妻との間に子どもを授かれず、病院から赤ん坊を誘拐します。

連れ去った新に重い障がいがあると分かったとき、明野はすぐに受け入れられませんでした。

新を育てようと決め、献身的に世話をしていたのは妻の昌美(烏森まど)です。

ところが、その妻が交通事故で亡くなります。

一人で新を育てることになった明野も、最初から覚悟ができていたわけではありません。

そんな明野が新の寝顔を見て、自分で育てることを決める場面が良かったです。

それから明野は、妻が残した育児記録を頼りに新と向き合います。

食事や排泄、体調の変化など、妻が書き残した記録を読み、一つずつ世話を覚えていきました。

決して器用な父親ではありません。

それでも9年間、新の世話を一人で続け、新の体や好みを誰よりも理解するようになります。

明野が新を誘拐した罪は消えません。

しかし、「誘拐犯」という言葉だけでは、新と過ごした9年間を説明できないとも感じました。

最初は妻のために連れ去った子どもが、いつしか自分にとっても、かけがえのない息子になっていた。

その変化を不器用な日常のなかで表現した宮藤官九郎の演技が良かったです。

民恵が誘拐を目撃しながら声を上げられなかった気持ち

新の生みの母親・尋津民恵を演じた黒木華も印象に残りました。

民恵は、新が連れ去られる瞬間を目にしています。

それでも、犯人を追いかけることができませんでした。

母親なら必死に追うはずだと、外から責めることは簡単です。

しかし、重い障がいのある子どもを一人で背負うことへの恐怖や、これから続く生活への不安を考えると、民恵が動けなかった気持ちも少し分かるような気がしました。

もちろん、見逃したことが正しかったわけではありません。

民恵自身も、そのときの選択を抱えたまま生きています。

新が生きていると知っても、すぐに母親として振る舞えるわけではない。

黒木華の演技からは、新を愛せなかった罪悪感と、今さら母親に戻れるのかという迷いが伝わってきました。

だからこそ、明野が自首したあと、民恵が新を引き取った結末には救いを感じました。

過去の選択は消えません。

それでも民恵は、今度は新から目をそらさず、母親として向き合うことを選びます。

新を引き取ることは、母親としての再出発であると同時に、過去の自分への懺悔でもあったのだと思います。

由紀と観月、介護によって傷ついた家族

佐竹の妻・由紀を演じた柴咲コウの場面にも、胸を締めつけられました。

由紀は、障がいのある息子・正樹の介護を、ほとんど一人で背負っていました。

一日中世話を続け、心も体も追い詰められていく。

それでも、眠っている息子の顔を見ると、とても愛おしいと思う。

子どもを愛していることと、世話をつらいと感じることは矛盾しません。

由紀の苦しさは、息子への愛情が足りなかったからではありません。

愛しているからこそ投げ出せず、限界を超えるまで一人で背負ってしまったように見えました。

その間、夫の佐竹は仕事や酒へ逃げ、家族と向き合うことを由紀に任せていました。

そして、由紀が正樹につきっきりにならざるを得なかったことで、娘の観月も寂しさを抱えます。

母親に自分を見てもらうため、自傷行為にまで及んだ観月の姿には心が痛みました。

観月は何も分かっていなかったわけではありません。

母親が苦しんでいたことも、弟を愛していたことも、父親がそこから逃げていたことも、子どもながらに分かっていました。

成長した観月は、父親だけでなく、自分も母親や弟の苦しさから逃げていた側だったと受け止めます。

しかし、本来なら観月も守られるべき子どもでした。

それでも自分まで責任を背負おうとするところが、余計につらかったです。

障がいのある子どもを育てるなかで、本人だけでなく、母親、父親、きょうだいも傷ついていく。

佐竹家の物語からは、介護を一人に背負わせることの過酷さと、家族全体に残る影響を感じました。

聡子も娘との関係に後悔を抱えていた

中野聡子と娘の関係も、本作に描かれた親子の一つです。

聡子は、暴力を振るう夫を刺したことで服役し、娘の親権を失いました。

夫から暴力を受けていた事情があるため、聡子の行動を単純に責めることはできません。

それでも罪を犯した結果として娘と離れ、現在はその娘からも拒絶されています。

娘を思う気持ちがあっても、過去の行動をなかったことにはできない。

母親としてやり直したいと思っても、娘が受け入れてくれるとは限りません。

そんな聡子だからこそ、明野の自首後、新を育てる人がいなくなることを他人事とは思えなかったのでしょう。

新を救おうとする姿には、自分が失った娘への思いも重なっているように見えました。

新と出会ったことで、止まっていた聡子の時間も少しずつ動き始めたのだと思います。

嫌われ者だった米本にも父親としての愛情があった

殺された探偵・米本と息子の関係も印象に残りました。

米本は佐竹の元同僚で、あくどい方法で金を稼ぎ、周囲から嫌われていました。

しかし、米本を殺したのは自分の息子でした。

さらに驚いたのは、息子に刺された米本が、最期まで息子を守ろうとしたことです。

返り血のついた服を着替えるよう伝え、現場に残った証拠を消そうとする。

正しい行動ではありませんが、自分の命が失われようとしている状況でも、息子を犯罪者にしたくないという父親としての気持ちが残っていました。

また、米本は民恵から新の捜索を依頼され、明野と新の暮らしにたどり着いています。

あくどい探偵だったため、最初は民恵を脅す材料にするのではないかとも思いました。

しかし、実際には民恵を脅すのではなく、新と向き合うよう働きかけます。

これは私の解釈ですが、明野が新を懸命に世話する姿を見て、米本のなかに残っていた父親としての感情も動いたのではないでしょうか。

周囲から嫌われていた米本も、新との出会いによって変わった大人の一人でした。

観て考えたこと

親子それぞれに罪と後悔があった

本作に登場する親子は、誰もが罪や後悔を抱えています。

明野は新を誘拐しましたが、父親として9年間育てました。

民恵は誘拐される新を見逃しましたが、最後には母親として向き合い直します。

由紀は正樹を愛しながら介護に追い詰められ、佐竹は家族から逃げました。

観月もまた、両親と弟の間で傷つき、自分を責めています。

聡子は過去の行動によって娘と離れ、米本は自分を殺した息子を最期まで守ろうとしました。

どの親子も理想的な関係ではありません。

親だから正しく子どもを愛せるわけでも、子どもだから親を受け入れられるわけでもない。

それでも、それぞれの間には簡単には否定できない愛情が残っていました。

「懺悔」は許してもらうためではない

懺悔をしたからといって、過去の罪は消えません。

傷つけた相手から、必ず許してもらえるわけでもありません。

それでも、自分の弱さや過ちを認めなければ、前へ進むこともできない。

明野が自首すること。

民恵が新を引き取ること。

佐竹と観月が、正樹や由紀から逃げていたことを認めること。

それぞれの選択が、この作品における懺悔だったように感じました。

懺悔とは罪を消すためではなく、もう一度誰かと向き合うための始まりなのだと思います。

総評

映画『時には懺悔を』は、重い障がいのある少年・新を中心に、複数の親子が抱える罪と後悔を描いた作品です。

最も印象に残ったのは、明野を演じた宮藤官九郎でした。

妻の死後、新の寝顔を見て自分で育てることを決め、妻の育児記録を頼りに9年間世話を続けた姿には感動しました。

一方で、民恵や由紀の姿からは、愛情があっても、障がいのある子どもを育てる苦しさは消えないことが伝わってきます。

介護を一人で背負った由紀だけでなく、母親の愛情を求めて自傷した観月、家族から逃げた佐竹も傷を抱えていました。

聡子と娘、米本と息子の関係も含め、どの親子にも罪と後悔があり、そのなかに確かな愛情が残っています。

誰か一人を悪者にして終わらず、人間の弱さと親子の複雑さを描いていたところが良かったです。

西島秀俊、満島ひかり、黒木華、宮藤官九郎、柴咲コウ、佐藤二朗らの演技も素晴らしかったです。

人は過去を変えることはできません。

それでも、誰かとの出会いによって、自分のしたことと向き合い、これからの生き方を変えることはできる。

今年観た映画のなかでも、特に心に残る作品でした。

評価:★★★★★ 5.0

30代男のひとこと

愛していても、苦しいものは苦しい。

さまざまな親子が、新との出会いによって変わっていく姿が心に残りました。

次に映画館で観る作品を探している方は、「2026年9月に映画館で観たい注目映画6選」もご覧ください。

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